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ご焼香は三歩先の下を見て、口は「モグモグ」が教訓なのだ [日録雑感]

本日も蒸し暑い暮らしが続く9日の日曜日だ。

九州、広島方面は豪雨。

避難勧告が数十万人というから、爺が暑い、暑いと騒いでもまだ避難せずに自宅に閉じこもっていられる「だけで」幸せだろうな。こういう自然災害については「比較」しても、なんだか可笑しなものだ。

避難せずとも「よかった」というなんだか自慢そうな、運がよかったよという匂いが強くするだけだ。

人の運命というのは不確かなことだな、と昨日のニュース報道を見ているとしみじみと感じた爺だ。

よく人は差別はよくないと語る。
きっと「世俗社会の中で暮らすときは」必ずどんな社会的に評価される人でも、そんに評価されない人でも、あるいは「そんなことは無関係だ」という人をひっくるめてしまうと「人間の時間は有限だ」にいきついてしまうのだろう。

いわば「誰もが」自分の「死」を逃れることはできないんだと。

大昔からf老長者」への道筋は探求されていた。
それは、まだまだ一部の豪族や財宝を持つ人たちだったのだろう。

自然災害や飢餓、そして夜盗などの危険が「多数の人々」をとらえ始めたあたりから、優秀な秀才たちが神を作り、その神の中でも「俺たちの神が」一番「救ってくれる」能力があるんだと「宣伝」競争が始まり宗教上での「戦争」があったという歴史だ。

言われてみれば、ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も「同じ聖典」を使うのも面白いものだ。そして互いの神の優秀性を計算するように「戦争」をしながら他の宗派の血筋を消してゆくのも歴史だった。

では「アジア」というぼんやりした空間での「仏教」と一般的にはいわれている。

この仏教では何が歴史として語れてきたのだろうか。

そういえば、昨日の政治の世界ではトップを極めた人の一周忌は、仏教でいう本願寺だったようだ。

というのは、やはりこの「宗派」が一番功徳があり、長命を保証してくれる「パワー」を持っているのだろうか。

なんだかよくわからない爺の話しだが、日本人は大昔から「死人には口なし」と言って、亡くなった人をむやみに批判したり、ほめたりすることを暮らしの中で「戒めてきた」。

だからご焼香では、いつも三歩先の下をみて、口は開かず「モグモグと」なにを言っているかわからないのが「良いご焼香」の姿勢だといわれたものだ。

そういう人たちが「政治の界隈」にいてほしいと爺はニュースを眺めながら見ていたものだ、画面を。
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