SSブログ

落語 漫画 治虫忌 漱石先生 ハチャメチャ論なり [日録雑感]

世の中には、いろいろなことを忘れないためにか、記念日を作って、しっかりと思いだしてくれよなという装置というか「ことがら」があって、ボケ気味の爺にはとても助かる。
2月9日は「肉の日」だと知ったばかりだが、同じ日が、「漫画の日」だとも知って、へ~と感心ばかりした。


ここらあたりの文章の脈絡はちょっと怪しげになってきたのだが、「まんだらけ」という漫画関係の総本家が名前を付けたという、2月9日をだが。


知らなかった。


色々と調べた。


我が国の「鉄腕アトム」産みの親「手塚治虫」先生が1989年2月9日に亡くなった記念日だという。「治虫忌」のコトらしい。


爺に言わせれば「世界平和への魂を持ったアトム」を作り上げた日を「科学と平和の日」といえば、世界から称賛される記念日になるのにな、と残念だ。


爺が育った時期は、親を失った「赤胴鈴之助」や集団からスポイルされた「霧隠れ才蔵」などが始まりで、やがて「劇画」という時期には「カムイ」だった。


小説を読むよりは、こういう方面が興味ありだった。

そのためかな、今なお週刊の「漫画本」は有力な愛読書だ。


落語家・立川談志を手塚治虫は支持し、立川家設立にも応援をしていたというから、ある意味では「異端」という人物同士の引き合い引力は強烈だったのだろう。どこに「二人が」引き合ったかを知りたかった。


そうすれば「漫画と落語」の双関係が、僕たちにもわかったのだろうな、と残念だ。


でもな、作家の漱石先生は、明治の古典落語に関心があり、落語の研究会に参加していろいろと学んでいたようだ。

というのも、漱石先生の傑作は、爺は「坊ちゃん」「吾輩は猫である」であって、他の小説はいろいろといわれているが、研究も深く、なるほどなと説得はされるものの、先の作品は、漱石先生が、若い時から落語に熱中していた、ある意味での文章による「落語記」ではないか。


漫画記念日からいろいろな記憶が飛び出して、間違いであっても研究論文などではないのだから、マンガ的に記載した日だ。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。