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羊はおとなしいが、動くと速い [日録雑感]

本日も気温上昇で引きこもりの5日。

長い日本列島での自然現象は「様々な動きを」する。九州地方は今日も「豪雨」。

災害の「復興」もままならぬ様子だ。

復興といえば「福島第一原発」の冷却水「放出」は、世界的な「取り組み基準」を担当しているIAEAがのりだしてくれた。

日本政府が率先して「疑問をだしている」現地の人々、とりわけ「海洋放出」での心配の負担がます「漁業関係者」への「説明と疑問解消」には十分な時間をかけたのだろうか?

どうも「説明」以前に政府関係部署に「不信感」を持っての時間が流れていたようだ。

エネルギー政策はその国の基軸だと思う。

石炭から石油への転換時期も、ある意味では衰退していく「産業」だった「石炭業」へのあれこれの政策的な「協力関係」がごたごたした事実は、特に60年安保条約との絡みで「政治的な混乱」を起こしたのも事実だった。

政治の季節から経済季節への池田内閣。
三種の神器から3C時代へ。
1964年は東京五輪で賑わった。

70年代は多少のごたごたとした政治時期の風も吹いたが、80年代への新たな「消費社会」へ舵を切った。

どうやら「現在」という場所は、この「消費社会」の「内側」と「外側」でのプラス面とマイナス面の「融合」がうまくいかずというか、目に見えず混沌としているようだ。

自然災害なども限られた平地を拡大するために「森林伐採」「河川の変更」など様々な手法が経済成長の掛け声ですすめられたのは、どうも弱点というか「補填していかなければならない」要素を無駄な政策として軽く考えらていた気がしてならない。
それらが今年の自然災害の現状として発現しているように見るのは「眇め」だろうか?

原子力発電でも同様な意味では、世間にみられて「政府関係、担当企業への不信感」を増量しているような空気ではないだろうか?

人間の思考で作り出された「新たなエネルギー」原子力は、当初の米国はじめ五大国の政治的な割り振りへの「政治的な武器」として活用されてきた。

我が国はその政治的な武器の「実験場」になってしまった。
これは、じつに「残念な」現在の結果を広島、長崎の大量の人々の血と涙で実証してしまった。

歴史は一挙には進まない。
どうも、多くの人々の血と涙で地上を濡らし、生なましい濡れた「瘡蓋」が乾くまで、何回も積み重ねられて、それが通常の歴史的な「常識」となるまでは続くのだ。

世間は「耐えること」には負けてはいない。

でもな、と思うが、この耐える時間を見定めた政治の行為がなされなければ、おとなしい「羊」も動けば怖いのも歴史の常識だろう。


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