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煙草の思い出 [日録雑感]

雨が降る寒い26日。

こういう日はミステリーを読むという植草甚一さんを思い出す。この方は「映画の世界」が長かったそうだが、英語に堪能で米国の雑誌などにヒントを得て、雑文を、それも米国世間のあれこれを紹介してくれていた。確か「煙草」好きだった記憶がある。

煙草を吸い始めた記憶は「高校入学時」だったのではないか。
おふくろは「職業婦人」だった。

いつも言っていた。

「迷惑をかけずに吸いなさい」と。この迷惑の意味は解からなかったが。

高校の裏の竹やぶで、早熟な文学好きの、政治論大好きのメンバーで吸っていた。

当時の煙草は「フイルター」はなかった。
確か「光」などだった。キツカッタ記憶だ。くらくらする頭で次への授業に間に合うように吸い、教室に戻ったのだから、匂いで知った学友や教師もいただろう。冷や冷やだが、職員会議には引っかからなかった。

職業では、先輩が煙草好きで、いつも原稿書きでも、歩いていても吸っていた記憶がよみがえる。
 

「いこい」などの「両切り」だった。

たまに手元になく、もらい煙草でも「フイルター」がついていると、わざわざ切り捨てていたのだから、新人の爺は驚いていた。
本人曰く「フイルター」は、何の行為での「必要なきものを」被せることと同じだと豪語していた。

若い時期の爺は、よくわからぬが、そういうものかと感動していた記憶だ。

どうも「仏文出身」で空手部所属だというから、高知出身の、昔で言う「一高から東大」への超エリートだったのだろう。

いろいろと「教わった」ことばかりで、まともに私生活や日常の暮らしは知らなったが。

こういう「タイプ」の人が消えていく時が、新たな時期に入っていくのだろうと思うが、亡くなって、何年たつのだろうか、記憶が爺にはおぼろげになっている。

爺は、煙草をやめて長かった。財布の関係だったが。

ある時、そういえば「紙が」悪いのではと思い、「煙管」で煙草の草だけ吸ってみた。

痰もでず、食事も美味しかった。

そうか、このてで「楽しもう」と、今は「続いて」いる。
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