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「雪」は歴史では不吉なのだろうか? [日録雑感]

我が家周辺は青空が高く見える晴天なり。一昨日は2月26日。

1936年のこの日は「雪景色」。

雪と、歴史の事件らしきコトガラは関係があるのだろうか。

あれこれと、この日の事件では、書いたものが多い。

学校の教育で習ったのは、と言っても戦前の暗い歴史観だった。

物心がついて、あれこれと「漁ってみれば」若き青年将校の「武装蜂起」で「世直し」への熱情があったという。

「熱情」という塊は、不思議な「行動」に突き動かされるのだな、と奇妙に覚えていたのは確かだった。

天皇の決済があり、即座に判決がおり,主要な青年将校たちは銃殺刑に鳴ったという。

民間人でも銃殺された人物もいる。

「北一輝」だった。

若くして、言うならば「早熟で」モノを書き始めた。

佐渡の出だ。
与謝野鉄幹など明星派のロマンに憧れる青年が、中国の革命に興味を持ち現地にもいった。

まだまだ、中国革命の動きが輝き、民族的な魂を持っていた時期なのだろう。

帰国した北一輝は、日本の民族の「こと改め」への研究を開始。

その一つとして、春の雪景色を血で染める事件の思想的な人物として描かれてしまった、ようだ。

ちらりと読んだものの本には、銃殺の時に「天皇陛下万歳」は必要ないと語っていたという。

まだまだ3月の「お祭り」も雪だった。

江戸時期は「部屋住まい」の長男あるいは相続者以外は、どこかに養子にでもでなければ、武士の一念は、達せられない時節だという。

その意味では、紀州の「何なんボうか」は徳川幕閣のトップになった。

でもな、やはりの「雪の災い」でなくなってしまった。

それが「歴史」なのだろう。のちの世の後から推測していけば。
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