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やっぱり「時は」流れているのだ [日録雑感]

はやくも、とうとう、時間は「過ぎ去っているいるかのように」見えるのだが(時間という流れは見えはしないが)、
腹がすいたり、寝たり、同じように朝が来たり、夜が来たりで、「時は」動いているのだな、と思ってしまう。

暦では「2月」となった。
一枚外してみれば、2月表示がでてきたので、やはり時間は動いているのだな、と思ってしまう。[曇り]

時が大きく動いたという「証明」のような「相撲の記事」を見つけ出した。

照ノ富士「目標達成」11勝&技能賞締め 来場所は大関復帰を懸けた15日間に [ 2021年1月25日 05:30 ]
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大相撲初場所 千秋楽 ( 2021年1月24日 両国国技館 )
技能賞を受賞した照ノ富士

Photo By 代表撮影
 尻上がりに調子を上げた照ノ富士が勝って千秋楽を締めくくった。動きの鋭い明生に立ち合いで揺さぶられたが、強引に前へ出て左ですくって叩きつけた。11勝目を挙げて条件付きの技能賞を受賞。「10番以上を目標にして(今場所)臨んだので、目標達成して良かった」と安どした。
 三役復帰を果たした先場所の13勝と合わせ24勝。2場所連続で2桁白星を飾り、来場所は大関復帰を懸ける15日間になることが確実だ。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)は「当然ですよね。今場所は慌てなかった。(以前と比べて)強引な相撲がなくなった。ケガもしづらくなる。前へも出ているし」と評価。昇進目安の三役で3場所合計33勝まで残り9勝で「内容もあるしね。優勝同点もしているしね。内容を見て」と語った。

 17年秋場所を最後に大関から陥落し序二段まで落ちながら不屈の精神でカムバック。照ノ富士は看板力士に戻るため「大関復帰に向けて頑張る。来場所も一日一番、集中して頑張る」と意欲を見せた。


照ノ富士が大関返り咲き 十両以下から復帰は史上初 3/31(水) 9:11配信



優勝インタビューで笑顔を見せる照ノ富士(2021年3月28日撮影)

大関照ノ富士が帰ってきた。日本相撲協会は31日、東京・両国国技館で大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開催し、春場所で3度目の優勝を飾った関脇照ノ富士(29=伊勢ケ浜)の大関昇進を全会一致で承認した。平幕以下に落ちて大関に返り咲くのは、77年初場所後に昇進した魁傑以来2人目。十両以下に落ちて大関に復帰するのは史上初となった。 【写真】15年の大関昇進伝達式で笑顔の照ノ富士 協会から使者が東京・江東区の伊勢ケ浜部屋に出向き、昇進伝達式が行われる。伝達式の様子は、協会公式YouTubeチャンネルで生配信される。 前回昇進した15年夏場所後の伝達式の口上では「謹んでお受けいたします。今後も心技体の充実に努め、さらに上を目指して精進いたします」と述べ、横綱昇進の意欲を示していた。大関が2度の伝達式を経験するのは魁傑以来。2度目の口上に注目が集まる。 返り三役の昨年11月場所で13勝、1月の初場所は関脇で11勝、今場所は11勝を挙げて大関昇進目安の「三役で3場所33勝」を大きく上回る「36勝」としていた。照ノ富士が昇進したことで夏場所は1横綱、4大関となる。 ◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」で11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所後に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、177キロ。血液型はO。家族は妻。得意は右四つ、寄り。


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2022-02-21 [日録雑感]

いつもながらコロナ対策に追われている。
手洗い、うがい、マスク。

三点セットでの暮らしが続く。

いやこれだけではなく、夜の世界への足がぴったりと止まったことだ。
なじみの店に行けば、いつも見慣れた常連の顔を眺めながら「口での漫才」をやり取りで「酒も」進む。

自宅で飲むのが悪いのではない。飲めなくなっただけだ。
身体が悪くなったわけでもない。酒を受け付けない体質に替わったわけでもない。

なんだろう。


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わかるかな わからないだろうナ [同時代の「現在」への置き文]

実際にお会いした人ではない。

でもナ、お会いしていないからこそ「残念だったナ」という人の訃報だった。

昔の「満州」で生まれ、父親の故郷、福島県相馬に引き上げたらしいという過去の経歴を知っているだけだ。

こういう人物は、再び現れないだろうと思えるタイプだ。

漫談家の松鶴家千とせさん死去、84歳…「わかるかなぁ・わかんねぇだろうなぁ」
2022/02/17 16:01
松鶴家千とせさん
 「夕焼け漫談」で知られる漫談家の松鶴家千とせ(本名・小谷津英雄)さんが17日、心不全で亡くなった。84歳だった。
 福島県南相馬市出身。高校中退後、上京し、演芸の世界に入った。「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズを使った漫談で人気を博した。

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