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いつも思い出すのは「ビール」の味だ [メーデでは]

本日は「憲法記念日」の祝日で大連休の真っ最中・3日は晴天なり。5月の初めはいつも、まだまだ労働組合が何とか一つにまとまって「メーデー」をやっていたのを思い出す。

いや結論から言えば、この日は、メーデーにかこつけて、流れ解散の途中から(確か新橋だった)記憶だが、銀座にあったビヤホールで昼間からおおい張でビールを飲んでいた記憶だけだ。

仕事柄で新聞報道関係の日比谷野音だったかに行き、後ろで新聞を読んだり、文庫本に目を走らせ、気分は早く出かけれるようにしてくれと、なぜかメーデーは「晴れている日が多く」ワイシャツはすでに濡れているのだから、こんな「組合員」ですみませんな、という塩梅だった。

「総評」なる塊にまとまっていても中身は指導権騒動でわんさかわんさのようだった。まだまだ機関労働組合は「国鉄」が強く民間組合は弱く、官庁組合が指導権を握れるには時間がかかっていたようだ。

現在は、機関組合は自動車関係へと移動し、主力で意見を強く吐くのはどうやら官庁組合という話しだが。

朝は動員がかかり、ひどいときは日比谷現地で「点呼」名簿で印をつけるのだから、仕事で遅れますと事前に組合指導部に伝えてはおいたが。

夜勤での二日酔い。

それでも、昼間のビールは薬になるのだから、真面目に途中までは歩いたものだった。

ウインナーの盛り合わせとコロッケのおかず。
そのころに覚えたのだが、「ハーフ&ハーフ」という、黒ビールと通常ビールを混ぜたものだと思うが、いつも「単品でそれぞれ飲むよりは」なんだか得をした感じだった。

ビヤホールの名前は既に忘却の彼方。
新橋に近い銀座だと思う。大きなホールだった。

午後には、出来上がり、会社には、直接に仕事先に行き、直帰は無理ですと電話を、それも当時は携帯などはなく、赤電話だったのだが、ビヤーホール周辺には公衆電話はなく、歩いて新橋のガード下までいかなければならないのだが、呂律が回らず、社で待機していた連中には、いつもの酔っぱらいが例によって電話してきたのだろうな、ぐらいの「はい、はい、わかりましたョ、上には伝えておきますよ」と軽くあしらわれていた記憶だ。

そんなことで、アメリカ シカゴから始まったメーデーであっても、日本社会では8時間労働なんぞは、本当かよという時期だった。

今や「週休2日」が、3日にもなるかなというご時世だ。
ましてや、政権を維持する政党が、連合のメーデで「新資本主義」の要、賃金の上昇を目指すと宣う新しい風景が生まれている。

今年、参加した「労組員たちはおいしいビールを飲んだのか。
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